2017年6月22日の夜に乳がんで闘病中だった小林麻央さんが亡くなられたことを受け、夫である市川海老蔵さんが記者会見を行いました。
記者会見の内容&一問一答を全部書きたいと思います。
小林麻央さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

海老蔵さんは、冒頭に
「この度はわざわざご報告するようなことではないかもしれませんけれど、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいまして、ご報告をするということもひとつの義務なのかと思います。
昨日夜に麻央が旅立ちました。
それによりましていろいろと答えます。
その中で家族の時間や家族でしなくちゃならないこと、家族で話すべきこと、子ども達とのこと、そういったことという時間の中で、思った以上に皆様に伝わったのが早かったということで、急きょ皆様にお時間を作っていただいたのも多くの方にご迷惑がかからないように、また、ブログやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。」
と、述べました。

以下、一問一答を記載させていただきます。

●麻央さんの最期の時はどなたが?最期に交わした言葉は?
私は昨日も舞台で、それまでお母さまと麻耶さんとずっと看病をしていました。
昨日、舞台が終わった後にここ(シアターコクーン)で別の撮影がございまして、その後にロビーでまた別の稽古がございました。
その時にお母さまからLINEがきてたんですけど、ちょっと僕は見ることができませんでした。
1時間半後ほど遅れて見た内容が、具合が悪くて、お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいいという内容でございまして、私も慌てて急いで家に帰ったわけです。
そうして帰りましたらまだ麻央はこのようにいてくれて、たまたま、ほんとにたまたまなんですけど、私がちょうど妻の前に座って呼吸が苦しそうだったので、大丈夫かな・・・と、おとといまで喋れたんですけど昨日はずっと喋れずにいたので、これは本当に不思議な話なんですけど、息を引き取る瞬間、私見ていました。
「愛してる」と言って、彼女がそのひとことを言って、本当にそのまま旅立ちました。
「る」が聞こえたか聞こえないかはちょっと分からないんですけど、「愛してる」と言って旅立つのが、ね。
こんなに愛されているというのはよく分かっていたんですけど、最期の最期まで愛してくれていたんだなと。

●最期、ご自宅で送ってあげられたことが良かった?
それは、とても良かったと思います。
お母様もお父様も私も麻耶さんも子供たちもずっと側にいられたので、すごくよかった。
私の父は病院で亡くしているので。
病院の時とは違う、家族の中で、家族と共に一緒にいられた時間というのは、まぁ本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。

●お子様も含めてご家族で皆さんで送ることができた?
そうですね、子ども達も見てました。

●麻央さんの闘病を振り返って
笑顔と勇気と愛情、そして決してぶれない自分、どんな状況でも相手を思いやる気持ち、まぁ愛ですよね、そういった力が、最後までぶれず、おとついまで笑顔で、笑顔で話してました。
昨日はちょっと調子が悪くて、急にそうなったので戸惑った部分もすごく大きかったです。

●海老蔵さんからどんな言葉をかけたか?
耳元でありとあらゆる話をして。

●麻央さんはどんな存在だったか?
とにかく私を、どんな部分もどこまでも愛してくれていた。
存在っていうのは。
うーん、まあねえ、存在ねえ、できればずっと一緒にいて、私の方が先に逝って。
彼女にはもっと幸せにもっと楽しく家族やお友達や麻耶さんやお父様やお母様、僕が役者として成長してきた過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。

●麗禾ちゃんと勧玄くんの様子は?
麗禾は、昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。
そして、彼女の横でずっと寝ると言って、寝てました。
認識はしていると思いますね。

勧玄は分かっているんですが、分かっていないところもあって、今日の朝も麻央の横になっている所に二人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対して、とても大きなものがあるなと、そういう感じがしました。

●奥様から学んだ大切なことをどうやって伝えていきたいか?
彼女は、自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらこうしたい、ああしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命闘病しました。
それでブログというものも始めたんです。
マスコミさんのおかげである意味、公になって、ありがたかったと思いますよ。
ブログというものをはじめて、同じ病の人達や苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からするとなんか、人ではないと言うか、なんか、なんというんですかね、すごい人だなと。
言い方おかしいですが、総合的に教わったこと、そしてこれからも教わり続けるのは愛なんだと思います。

●思い出される表情は?
全部です。
初めて会った時の彼女から、今も、今日の朝まで全部です。

●笑顔が多いですか?
そうですね、多かったと思います。

●子供について
心残りだと思います。
2人のことについて、どうすればいいんだろう?と考えても答えが出なかったと思います。
いろんなこともあり、今回も子供たちと7月に出る、せがれが出るんですが、それを見に来ることをひとつの目標としていろんなものを作ったんですが、まぁでもきっと見ていると思うんでね、まだまだ。
心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。

●託されたことはどんなこと?
ちょっと多すぎて言葉に出せないですよね、これからも、このあとも舞台もありますし、子どもの稽古もありますし、子供の成長のこともありますし。
5歳と4歳ですから、これからお母さんと言う存在が彼女や彼には非常に重要な存在ではないですか、それを失った、代わりはできないですが、できる限りのことをyっていくようにと思っています。

●麻央さんの言葉で思い出されることは?
やはり、言葉と言うか、お姉さん、麻耶さんが調子悪くなった時や私も舞台で非常に疲れた時も、彼女自身はもっと大変な病にかかっている、そして、お母さまが看病で疲れているときも、麻央の方が大変なのに、やはり自分よりも相手のことを心配する優しさ、言葉ということではなくて、どこよりも自分より相手のことを思う気持ち、これは一番多かったですね。

●麻央さんはどんな奥様でしたか?
え~、分かりませんね・・・。
僕を変えた奥さんなんじゃないですか。

●プロポーズの時に、来世も再来世も一緒にいようと言ったが
そのつもりです。
その話もしました。
ですが、まぁ、僕が愛想つかされないように頑張んなきゃいけないのかなと。

●改めて麻央さんに言いたいことは?
昨日の今日なんで、こういうところも聞いていると思うので、全部聞いていると思うので、言うことは言わなくても伝わると思うので、いつも想っているよねということです。
麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回もこのような形もある意味とらせていただいたと思うんです。
実際そうことがなければ、このようなことをご報告すること自体が形としてはどうかと思います。
ですが、そういう多くの麻央のことを応援して下さった方々、そして麻央と共に闘っている方々、昨日先に旅立ちましたけれども、ずっと麻央はきっと皆様のそばにもいると思うので、本当にいろいろありがとうございました。